Instrumentality

ささいな日常の記録

「ニッセイケン」を探して日盛楼に至る

meefla.hatenablog.com
に引き続き、人力検索での回答までの検索過程を振り返る、種明かしシリーズ その2です。

今回の質問

q.hatena.ne.jp
そもそも質問者さんが id:sibazyun さんという所から難問の予感がしたわけです。
sibazyun さんと言えば、私よりも古くから人力検索で活動されているお方。
簡単な案件ならご自身で検索できちゃいますよね。

この質問も、店の名前が漢字でわかっていれば難易度は低くなりますが、カタカナだけの情報です。
時代も「大正前期」と古く、場所も「桜木町から人力車で行ける範囲の横浜市」とかなりの広範囲になります。
しかし、難問になればなるほど燃えるのが悲しい性。
遅起きした日曜日の朝に質問を発見し、さっそく検索に取り掛かります。

初動

まず漢字ではなくカタカナという所から、出典は英語文献か何かだろうと当たりをつけました。
yokohama nisseiken restaurant で始めますが、思わしくありません。
日本語に切り替えて「横浜 洋食屋 大正時代」を試してみますが、何枚ページを開いてもダメそうです。
当たればラッキーという乗りで「ニッセイケン」を決め打ちして、「横浜 大正時代 日精軒」も試してみましたが、世の中、そう甘くはありません。
「大正時代の横浜の地図」なんぞを探してみますが、これと言ったものは見つからず。
約1時間検索して収穫がないので、休憩に入りました。

検索再開

しばしリフレッシュして検索を再開したわけですが、今回のセッションは最初とは少し方針を変えています。
前回の経験から正攻法では難しいという事だけはわかったので、搦め手でというわけです。
「大正時代 洋食屋 ガイドブック」から始めています。
その後も「大正時代の洋食屋」関連のページを読んで、基礎知識を調べたりしました。
日本の西洋料理の歴史」を拾い読みして感心したり。
カール・ユーハイム が神戸に行ったのは関東大震災の後で、その前は横浜にいた事を知ったり。
関東大震災震源地が小田原で、横浜は壊滅的な被害を受けた事を調べたり。
そうこうしているうちに、大正時代のカフェについて知りたくなりました。
これが回答にたどり着くきっかけとなったのです。

転機

検索キーワードは「大正時代 横浜 カフェ」です。
検索結果の中に、レファレンス協同データベースの「明治末期から大正時代の頃、現在の伊勢佐木町にあったカフェ、パウリスタの所在地が知りたい」がありました。
レファレンス協同データベース は、国立国会図書館と全国の図書館が共同で作っているデータベースです。
図書館のユーザーからの調べ物の質問に対して、プロの図書館員の人たちがどう調べてどう回答したかが記録されています。
検索のヒントが得られたりするので、私は優先的にチェックする事にしてます。
で、上記のカフェの質問に対して、横浜市中央図書館はまず電話帳を調べています。
電話帳! その手があったか。

大正時代電話帳」でググると、電話帳 | 調べ方案内 | 国立国会図書館 経由で近代デジタルライブラリーにある 横浜東京電話交換加入者名簿. 明治27年 が見つかりました。
明治27年だとちょっと古いですが、デジタル化されているのは他になさそうなので、一応当たってみます。
「ニッセイケン」だから「に」の項だよね。50コマくらい飛ばせばいいかな?
あれ?何で「に」が出てこないの?
とか思いましたが、よく見てみると「あいうえお」順じゃなく「いろは」順だったんですね。
そして最初の方(5コマ目)にあった「に」の部で見つけたのがこちら。


f:id:meefla:20160203203225p:plain


「日盛楼」?中華料理店じゃないの?でも、きっちり「西洋料理店」って書いてある。これか?

というわけで、後は「日盛楼」をキーワードにして、ググりまくるだけです。
検索再開から、やはり約1時間たってました。

ボツになった情報たち

いろいろあって、回答を書く頃にはかなりの情報が集まってました。
いいかげん長文になった事もあって、本筋に関係の薄い情報はボツになってます。

例えば、横浜市立図書館デジタルアーカイブ 都市横浜の記憶 にある「横浜成功名誉鑑」(明治43年)。
横浜開港50年記念で出版されたこの本にも「日盛楼」の情報がありました。


f:id:meefla:20160203204039j:plain


「日盛楼」は明治元年創業だそうです。(最初は露店からの出発だったようですが)
ここに出てくる「白鳥氏」は、上の電話帳に記載されている白鳥源次郎氏ですね。
明治40年に経営権を米山フク子さんに譲ったとあります。
ちなみに功成り名遂げた白鳥氏は、当時の富裕層の例に漏れずお妾さんを囲っていたようです。
黒岩涙香 の『弊風一斑 蓄妾の実例』という本でディスられています。

「日盛楼」の二代目オーナーとなった米山フク子さんについての情報は「横浜成功名誉鑑」くらいしかなさそうです。
関東大震災の犠牲になった可能性が高いと思われますが、消息不明としておくのが無難でしょうか。

最後に、今回この質問で感じたのは、古文書のデジタル化が思いのほか進んでいる、という事でした。
5年ほど前だと、探したい本がデジタル化されていなくて悔しい思いをした事が多々あったのですが、今回の検索で見つからなかったのは大正時代の横浜市の電話帳くらいでした。
時代は着実に進歩しているんですね。