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ささいな日常の記録

学問に王道なし

「勉強には地道な努力しかないよ」という意味で「学問に王道なし」は良く使われる言葉です。
英語だと "There is no royal road to learning." ですね。
さて、これは誰が誰に対して言った言葉なのでしょう。


ネットで検索すると、学問に王道なし とは - コトバンク にある「ユークリッドプトレマイオス王(プトレマイオス1世)に答えた言葉」というのが主流ですが、「アリストテレスアレクサンダー大王に言った」という説も散見されます。
「学問に王道なし」の意味を教えてください。 - 国語 - 教えて!goo
高橋・白石研究室 WebSite - Osamedia weblog : 学問に王道なし by webmaster
いずれにせよ紀元前300年代のお話ですから確定するのは困難ですが、どちらが正しいのか疑問に思ったので調べてみました。


1. ユークリッド - プトレマイオス
Wikipedia 日本語版の エウクレイデスユークリッド)にもあるように、この説の根拠は「プロクロスの『ユークリッド原論第1巻注釈』」のようです。
プロクロス (Proclus) は、5世紀のギリシャの新プラトン主義哲学者で、主要な業績はプラトンの註釈本ですが、ユークリッドの註釈本の作者としても知られています。
こんな時に役立つのが Google Books でして、1992年 Glenn Raymond Morrow 著の A commentary on the first book of Euclid's Elements によれば、プロローグの部分に

It is also reported that Ptolemy once asked Euclid ...

(P56-57、太字引用者)
とあります。
書かれた時点ですでに700年以上前の話で伝聞にすぎませんが、一応、明確な原典のある説と言えるでしょう。


2. アリストテレス - アレクサンダー大王
一方、アリストテレス説ですが、私が調べた限りでは、この説の根拠となる文献は見つけられませんでした。
確かに アリストテレスアレクサンダー大王の家庭教師だったようですが、この Wikipedia の記述にも

王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師となった。アリストテレスは弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。

とあるように、数学は教えていません。
上記プロクロスの記述でも、"There is no royal road to geometry."(幾何学に王道なし)とあるように、もともと「幾何学」だったものが「学問」に変わったわけですから、発言者は数学の先生であったと考えるのが妥当でしょう。
実際、アレクサンダー大王に対して、アリストテレスではなく幾何学者のメナイクモス (Menaechmus) が言った、という説はあるようです。
メナイクモスは、D.E.Smith の "History of Mathematics Vol.1" を和訳した 数学史 の記述によれば、

アレクサンダー大王は、メナイクモスの弟子で、彼が幾何学を学ぶのにもっと簡単な方法はないかと問うと、メナイクモスは、それに答えて「おお、王様。国中には私道や公道がありますが、幾何学には唯一の方法しかありません。」

と言ったそうです。
原注にもありますが、これは500年頃(ないし5世紀の後半)のギリシアの著述家、ストバイオス (Stobaeus) によるものであり、ユークリッド説のプロクロスとほぼ同時代の人ですから、これも同様に伝聞によるものと考えられます。


まとめます。
「学問に王道なし」の原典となるエピソードは、

  1. ユークリッドプトレマイオス王に言った
  2. メナイクモスがアレクサンダー大王に言った

のいずれかの可能性が高く、アリストテレスアレクサンダー大王に言ったものである可能性は低いでしょう。